数の概念 産まれたての子を零歳児と呼ぶのは如何も日本人には馴染め無い。数え歳の方が未だましな気もする。 何も無い事に零の概念を導入した古代インドの数学者の叡智には頭が下がります。古代ヨーロッパですら零の概念は生まれて無かったので有る。 数学は真に不可思議な学問でも有る。日常的な世界を超越した数の概念の拡張で大きく発展した学問で有る。負の概念は理解出来るとしても。かけると負に成ると言う虚数の概念と成ると凡人には付いて行け無いが、中学校ですでに教えて居るので有る。中学で平方根の計算の仕方も教わるが、便利な電卓の御蔭か長い生涯で未だに計算した事が一度も無い。中学数学の練習問題の簡単な2次方程式の計算でも問題に不備が有ったり、間違って居たりして、其の不思議な虚数の必要性に出くわす事も有る。複素数の世界で有る。其の現実世界に無い不思議な数の概念を使って、此の世の真理を現す物理の法則の論争が成されて居るので有る。単純明快な数式で現される物理の法則程宇宙の真理で有るかの様に思えるのも不思議な話で有る。大宇宙の創造、進化、終焉を数式を使って論争する物理学者、宇宙論者は凡人の目には、不可思議で有る。彼のアインシュタインの偉大さは今だに色褪せては居無い。身体が動か無く成る病気にも拘らず宇宙論に偉大な功績を挙げた車椅子のホーキンス博士の存在は余りに大きい。現実には存在し無い数の概念で宇宙の真理を現せるのも不思議な話でも有る。学生時代に彼れ程苦労して勉強した数学では有ったが日常世界で使用の必要に迫られ事が一度も無いと言うのも不思議な話で有る。微分や積分、三角関数も高校で習ったが大部分は使う機会も無い儘忘れてしまった。円周率も不可思議な数で有る。最近のパソコンでは一分弱で100万桁を計算出来るが計算は出来ても使い道が無い、パソコンの性能の比較のベンチマークソフトに成って居る現状でも有る。日常生活に少しは関係の有る。確率や統計も複雑な数式が登場する。数学とは思え無い仮説と言う言葉が登場する。兎の足跡を調べて山全体の兎の数も推測出来るので有る。 岩波の数学辞典を見て唖然とした人も多い、一般の人や高校生向けの辞書では無い、初学者用の辞書で有る。数学と言う学問の世界の奥深さは凡人には近付き難い物が存在する。日本語で書かれて有っても、凡人には理解出来無い。 世界に広がり便利の限りのアラビア数字では有るが、呼び名は各言語によって違うのも不思議で有る。 カレンダーの月の呼び名も各言語で様々で有るが、最近ではインターネットの発達や世界ニュースでの必要性からか日本的な数字での表記も見かける様に成った。勿論呼び名は各言語による。 日常生活や仕事で余りに便利なアラビア数字では有るが、格式が必要な格調高い数字には未だにローマ数字が使われる場合も有る。昔の柱時計の文字盤が懐かしい。問題はX(10)とV(5)で有る。英語のアルファベットのXとVと間違われる時が有る。商品の型番や名前は特にそうで有る。V型と長年思って居たら5型の事で有ったりもする。日本には漢数字も未だに使われる。偽造を防止の為か御金に関する数字は特に難しい漢数字(大字)が使われる場合も有る。一二三等がが壱弐参等の大字で有る。更に旧字体の壹、貳、參を使う場合も有る。 漢数字は四桁毎に名前が付けられて居り、壱、拾、百、千、万、億、兆、京、垓、杼(正確には禾辺)、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数・・・、日常生活では必要の無い数まで名前が付いて居る。反対に小さい数字も10分の1毎に付けられて居る。割、分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂靜・・・と成る。 西洋の三桁毎に呼び名が変わる方式に戸惑う人も多い。三桁毎のコンマは世界共通かと思って居たら、スペインではピリオドが使われて居る。世界は様々でも有る。 10進法が人の指が10本で有る為と理由付けで大抵の人は納得するが、もっと他に数学的な理由が有っても良さそうな気もするが。掛け算の計算をする為には九九の表を覚えなければ成らない。12進法だと覚えねば成らない表の数も増える事に成る。誰でも覚えられる程度の数で有る必要が有ったので有ろう インドでは九十九九十九表を小学生で教えて居るとか。インド人の計算の速い所は其の辺に起因して居る様でも有る。 コンピュータでは2進法と16進法も使用されて居る。日常的には特異な数の表記で有る。SCSIのハードディスクのIDのジャンパースイッチに2進法が利用されて居る。思わぬ処で必要に迫られ慌てるる物で有る。16進法には英語のアルファベットのAからFを間に合せ的に利用して表記される。Aが10、Fが15で有る。アラビア数字も其の儘使われるので16進法の数字で有る事を示す記号が前に必要と成る 日本では$記号等が良く使用される場合も有る。$FFは225で有る。勿論アメリカでは$記号は使用しない筈。コンピュータ関係丈で世界で広く使われる様に成るとは到底考えられ無い。 小学生の算数の分数計算で悩んだ人も多い。約分や分母を合わせる必要も出て来ると言うややこしい事をしなければ成らない。間違い易い処で有る。割り切れない数が有るので有る。3と4の間にも無数の数が存在するので有る。無数と言う事が特に重要で有る。10の平方根も有れば、円周率も存在する。永遠続く無限級数が無数に存在する。 日常生活、会社の仕事での問題は数の纏め方で有る。通常は必要とする桁数の一つ下迄計算し四捨五入して丸めるのが一般的では有るが仕事によっては切捨て、切り上げも使われる場合も有るので注意が必要でも有る。一円以下の銭の数を如何に処理するかも大問題で有る。何銭の問題でも数が増えれば、切り上げて居たら損をする事に成るが、信用を失って迄切捨て無ければ成らな無いのも又可笑しな話でも有る。 百分率は円グラフで現せる物とばかり思って居た。全体を100とた時の部分の割合かと思ったら、単に元の数字を100とした時の割合の様で有る。単に割合を100倍して%を付ければ良いのか。当然円グラフで書け無い事に成る。円が幾つも必要に成る場合も出てくる。円グラフで書こうとする事自体が間違って居るのか可笑しな話でも有る。生涯に渡って誤解を引きずら無い為にも、正確に教える事が幼児教育の重要な処でも有る。数学の専門書は練習問題の矢鱈多いのが多い、何やら教科書風で有る、しかしなかには物語り風の学術書も有る。試験に出る事しか勉強したく無い気持ちも分かるが、人を教える立場の人は其の様な学術書をジックリと読んで貰いたいもで有る。学生の頃にブルバギの数学原論を見て、定理や公理等の言葉の説明や使用する数学の記号の説明、重要度を示す記号の説明に可也の頁が使用して居た記憶が有る。日本薬局方の記述方法の説明に似て居る、記述する用語の説明も詳しく載って居るのと似ています。会社の基準書、手順書が其れ等を基に作成もされて居る。スミルノフ高等数学教程も理解出来無い儘良く読みましたが、最近でも発売されて居るのには脅威で有る。可也古い書物の筈、私が高校生の時に呼んだ書物で有る。名著には違い無いが。其れ等がインターネット上でも今だに発売されて居る。一度読まれる事を御勧め致します。値段が当時と余り変わらないのも不思議で有る。最近は学術書専門の出版社の少なく成った。学術書丈では経営が成り立た無いので有る。潰れた出版社も多い。大学生の活字離れも進んで居る。数学書の出版社がアダルト書籍も出版して居たりして。出版社も苦難の時代でも有る。 数学は不思議な学問で有る。自然科学は実験で理論の証明が出来る場合も有るが。数学は机の上だけの世界で有る。自分の頭が勝負で有る。証明は自分で証明しなければ成らない。一般の人も数学上の難問に挑戦する人も多いが、殆どが徒労に終わる場合が多い。努力丈で無く天才を必要とする学問でも有る。ノーベル賞に数学が入って居ないのも不思議で有る。数学のノーベル賞と言われる、フィールズ賞を日本人3人が受賞して居るのは特筆すべき事で有る。小平邦彦氏、広中平祐氏、森重文氏で有る。 大分前にフェルマーの最終定理は350年間も数学者を魅了させた、単純で美しい問題だが、大天才の数学の大御所を持ってしても解け無んだ大難問で有ったが終にワイルズに解かれた。一度証明され、定理と成ると其の定理を利用して次の難問も解ける可能性が出て来る。一握りの天才の仕事が何世紀も人に恩恵を当て続けるので有る。至る所に名前が出て来る大天才の大御所の中で、若い数学者の活躍も有る。5次方程式の解の問題のアーベルやガロアの理論のガロア等は其の後の数学に大きな影響を与えた丈に論文の頁数は少なくとも、功績は甚大で有った。近年アーベル賞が新たに創設された。 各国で選りすぐりの学生による、数学のオリンピックとも言える試験の競技が有る。其の難問中の難問を決められた時間で解くので有る。数学の先生でも頭を抱える難問中の難問をで有る。其の難問を満点に近い点数を取る少年が居ると言うので有る。昔、100点満点の試験に120点を付けた教授が居た。予定した回答以上に余程素晴らしい回答で有ったので有ろう。教授を責めるよりは其の学生を褒めるべきで有ろう。入試の為の受験勉強しかしない国の若者の中からは中々優れた数学者は生まれて来無いで有ろうが、しかし、大学に入れ無ければ、誰も数学は勉強し無いのも又事実で有る。大学では気が狂う程勉強して貰いたいもので有るが、試験の範囲しか勉強し無い学生も多い。 数学とわ余り関係の無い世界でも時々顔を出すのが彼の見覚えの有る、釣鐘型の彼の正規分布曲線で有る。ガウス曲線とも言う。かっての通知表の五段階評価の基に成った曰く有りの曲線ででも有る。 数学とは全く関係の無い様々の事に関係して来る。学校の試験の点数の結果や、色んな統計結果や商品の品質試験にも顔を出す企業にとって製品の中から幾らのサンプルを取って製品全体を評価するかは大問題で有る。凡人には神の存在を信じたくも成る不思議な世界で有る。美しくも有る。 数学は其の理論的証明方法で万人を納得させる力が有る。其の理論的な考え方は他の事にも多いに参考にすべきだ有る。迷信や妄信で自らを滅ぼさ無い為にも良く考えましょう。最高学府を修めた人が変な宗教を妄信して犯罪を犯す事件が在った。自然科学に精通した人がで有る。人の心の脆弱さを巧みに利用して人を操る言葉の悪夢が存在する。唯一絶対の神丈しか信じ無い人が自爆テロで次々に死んで行って居るのが世界の現状で有る。数学の様な理論的な考え方の習慣を生涯続けましょう。悪魔に心を売り渡さ無い為にも。戦争に因って戦死した我が子が軍神とした人々に崇められ無い為にも。 2006−06−11−135−01−OSAKA |
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