静寂の中に在って 最近に成って、やっとパソコン(PC)の64ビット化も進み。ハード面ではCPUの64ビットは主流に成って来ました。最近ではデュアルコアのCPU迄出て来ました。デュアルコアのCPUをデュユアルで使用すれば4CPUが利用出来る事に成ります。サーバーでも無ければ必要の無い性能では有るが、自作PC派にとっては魅力的なPCでは有る。しかし、ソフト面ではまだまだで有る。やっと64ビットのOSは発売されたが未だに64ビットのドライバーが完備して居な無い。我が家のPCのオーディオのドライバーのダウンロードが出来ず未だに音声が出無い、静かでは有るが。PCで映像も見れるが、音声が出なければ始まらない。アプリケーションソフトの64ビット対応化の普及はずっと先の話か。 CPUが高性能に成れば、発熱も多く成りファンの騒音も可也に成ります。デュアルCPUなら騒音も倍に成る。HDDの搭載数が多く成らば、発熱も多く成り、騒音も可也な物に成ります。消音タイプのPCも発売されて居ますが、其の分性能が落ちます。CPUをファンで無く水で冷却するタイプの水冷式のPCも発売されて居ますが、電気製品に水を使う事に危惧を感じる人も多い。 しかし、消音化に他に方法が無い分けでは無い。モニターとマウスとキーボードが有らば仕事は出来るので有る。長い延長コードを買う必要は有るが、騒音を発する煩いPC本体を隣の部屋に出してしまえば良い丈の話で有る。静寂が其れ程重要かどうかは個人によっても価値観が異なって来ますが、物理的には実現可能で有る。私は今、其の静寂の中で此れを書いて居ます。静寂だから良い物が書ける分けでは有りません、念の為に。 性能を少し落とせば、消音化も可能だし、ケースもコンパクトに成り、部屋のアクセサリーにも成るが多くの人は、其の性能の限界に挑む程にPCを使いこなせて居な無いのが現実では有るが。ワープロやインターネットを楽しむ程度ならどの程度の性能が必要か議論する必要の無い程、最近のPCの性能は充分な所に来て居る。子供が家で遊びのゲームで使って居るPCが,父親が会社で仕事で重要な書類を必死に成って作成して居るPC依り高性能で有ると言う、皮肉な結果に成って居ます。 静寂が人を幸せにするとはかぎりません。以前に森の中で、余りの静寂に耳が可笑しく成った経験が有ります。プールで水中に潜り、騒音が聞こえ無い事に恐怖を感じた経験も有ります。静けさを出す為に動物の鳴き声で表現して居る、文学作品も有ります、本当の無音なら何も聞こえ無い筈なのに。赤子が母親の心臓の音を聞いて安心して居る様に、風に靡く木の葉の音、草のざわめき、鳥の鳴き声、虫の声、川のせせらぎ、海の波の音等は、騒音で有っても人を和ませるので有る、人を和ませる或る一定の不規則乍も或る周期が有るので有ろう。 昼の騒音を避けて、真夜中に作品を書き上げる作家も居ます。静寂が物事に集中させるのは確かな様です。しかし、一般の人には勧められません。静寂が大自然の摂理まで犠牲にして手に入れる丈の価値が有るとわ到底思えません。学生時代家族が見るテレビの騒音に悩まされ勉学が余り進まなかった事を悔やむ人も多いが、集中出来れば騒音の中に在っても騒音が聞こえ無く成るので有る。要は本人の集中力の問題で有る。テレビを見ながら勉強をして居た、あの学生時代の集中力の無さは何だったんで有ろうか。テレビで多くの映画やドラマを見、学校の勉強では決して得られ無い、貴重な体験が出来、其は其で良かったのかも知れないが。 「音の無い音楽」と言う歌が有ります。静けさを音楽で表現出来るのも不思議で有る。 田舎のホテルに泊った都会の客が、蝉の鳴き声が煩い、蛙の鳴き声が煩い、烏の鳴き声が煩い、何とかして欲しいと減らず口を叩く族も居る。人の思いも又様々で有る。 真夜中でも冷蔵庫のモーターの音が聞こえて来ます。良く働いて呉れて居ると思ってしまうのも不思議で有る。一人暮らしの者にとって静寂は、寂しさを誘い、苦痛でも有る、ついテレビを付けるのが習慣に成ってしまって居る。テレビが付いて居る丈で何故か安心なので有る。口煩い女房が居て、出来の悪い子が居たら。さぞかし煩かった事で有ろうが。 マンション等の集合住宅では、一戸建てと違って時々何やら隣から騒音が聞こえて来るので有る。夫婦喧嘩、親子喧嘩等する時は窓を閉めたのを確認しないと後で恥を掻く事に成ります。 屁放女房 平蔵の妻さやかは屁放で有った。見合いの最中に屁を放いてしまい。余りの恥ずかしさに喘いでしまい「此んな事で破談に成るのは嫌じゃ、嫌じゃ」と駄々を捏ね。「人の倍は働くよって、堪えて嫁にして下され」と拝む様に無理矢理頼み込んだ。心優しい平蔵は其ならばと夫婦に成ってしまった。さやかは良く働き、夫が仕事に出て居る間は放たい放題、何一つ問題は無かったが。夫が帰って来て、夫の前で放訳にも行かず、随分辛い思いをして居った。心優しい平蔵は「他所では困るが、家では私の前だからとて遠慮は要らぬ」とつい言ってしまったから大変、以後ずっと時には下品な、時には可愛い、怪しげな音を聞かされる嵌めとあい成ってしまった。 最近では夫の前で放のに快感を感じて居る様でも有った。わざわざ夫の傍へ来て放ので有った。夫が風呂に入ると直ぐに入って来ては、湯船の中で屁を放ので有った。水面に手拭を広げ、自らの泡を弄んで喜んで居ったので有った。平蔵の呆れ返る毎日で有った。 屁を放って可笑しくも無し、一人者。 2005−09−17−66−OSAKA |
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